会社の歴史

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創業からの歩み
The year 1926
1926(大正15年)8月
未来への希望を胸に
「山下医科器械店」
を創業

1926年、戦後の復興が始まる前の混沌とした時代に、一人の男が未来への希望を胸に立ち上がった。山下忠次郎――医療の進歩を支え、地域の健康を守るという使命感を抱き、佐世保の地に山下医療器械店を創業。その想いは、小さな店舗から地域へ、そして時代を超えて大きな歩みへとつながっていく。

1945 年(昭和 20 年)
戦災により天満町店舗兼住宅全焼
佐賀の実家に一時戻る
1945
1949 年(昭和 24 年)
佐世保市戸尾町に仮営業所を設置
1949
1947 年(昭和 22 年)
佐世保市に戻る
1947
1945 年(昭和 20 年)
戦災により天満町店舗兼住宅全焼
佐賀の実家に一時戻る
1945
1947 年(昭和 22 年)
佐世保市に戻る
1947
1949 年(昭和 24 年)
佐世保市戸尾町に仮営業所を設置
1949
1950(昭和25年)4月
激動の時代を乗り越えた再出発

混乱と悲劇の嵐が吹き荒れる激動の時代。戦争による荒廃や社会の変化に翻弄されながらも、社員全員が力を合わせ、決して希望を手放すことはなかった。「この困難を乗り越え、必ず再び立ち上がる。」そんな強い意志のもと、山下医療器械店は株式会社へと生まれ変わった。この再出発が、さらなる成長への大きな礎となる。

1960(昭和35年)9月
成長と革新の歩み

時代の波が押し寄せ、次々と新しい技術やニーズが生まれる中、さらなる飛躍を目指して社名を「山下医科器械株式会社」へと変更。私たちは、常に挑戦の歩みを止めることはなかった。

1961(昭和36年)1月
地域医療への貢献を拡大

医療の現場に寄り添い、支援の輪を広げるべく、長崎支店を新たに開設。さらに、日立レントゲンの取り扱いを開始し、最新の医療技術を地域へ届ける体制を整えた。強い信念を胸に、地域医療への貢献を強化していく。

1962 年(昭和 37 年)
資本金を250万円に増資
1962
1967 年(昭和 42 年)
資本金を500万円に増資
1967
1965 年(昭和 40 年)
資本金を350万円に増資
1965
1968 年(昭和 43 年)
島原出張所を開設
1968
1962 年(昭和 37 年)
資本金を250万円に増資
1962
1965 年(昭和 40 年)
資本金を350万円に増資
1965
1967 年(昭和 42 年)
資本金を500万円に増資
1967
1968 年(昭和 43 年)
島原出張所を開設
1968
1969(昭和44年)8月
災禍を乗り越え、再起の一歩を踏み出す

佐世保・四ケ町を襲った大火により、山下医科器械の本社社屋は焼失した。
しかし、この危機に直面しても歩みを止めることはなかった。
強い意志と団結力のもと、即座に光月町に仮営業所を設置し、事業の継続を実現。逆境を乗り越えたこの経験は、後の成長と飛躍への礎となった。

1970 年(昭和 45 年)
資本金を700万円に増資
TELEXによるメーカー発注他
通信業務開始
1970
1969 年(昭和 44 年)
佐世保市本島町の土地を売却、湊町の土地を購入
1969
1969 年(昭和 44 年)
佐世保市本島町の土地を売却、湊町の土地を購入
1969
1970 年(昭和 45 年)
資本金を700万円に増資
TELEXによるメーカー発注他通信業務開始
1970
1970(昭和45年)9月
創業45周年、新たな未来へ

山下医科器械は焼失した本社を再建し、新たな本社社屋を落成。同年、創業45周年を迎えた記念式典では、これまでの歩みを振り返りながら、次の時代へと進む決意を新たにした。再建の象徴となるこの新社屋は、未来への希望と挑戦の場となった。

発展
The year 1972
1972(昭和47年)
九州トップクラスのディーラーへ

医療の現場に欠かせない物品供給体制を独自に確立し、他社との差別化を図りながら事業を拡大。質の高いサービスを提供することで、ついに九州トップクラスの医療器械ディーラーへと成長を遂げた。

1973 年(昭和 48 年)
佐賀営業所を開設。医療事務用
コンピュータを導入
長崎支店新社屋完成
1973
1973 年(昭和 48 年)
佐賀営業所を開設。医療事務用コンピュータを導入
長崎支店新社屋完成
1973
1975(昭和 50 年)5月
新技術への挑戦

技術革新が進む中、山下医科器械はファイバースコープの販売を開始。さらに、理化学機器の分野へも本格的に進出する。

1975 年(昭和 50 年)
大村営業所を開設
1975
1977 年(昭和 52 年)
コンピュータによる納品・請求・商品
管理等の初期導入開始
1977
1975年 (昭和 50 年)
大村営業所を開設
1975
1977年 (昭和 52 年)
コンピュータによる納品・請求・商品管理等の初期導入開始
1977
1978(昭和 53 年)4月
拠点の拡充と事業の多角化

医療現場の多様なニーズに応えるため、福岡営業所を新設し、佐賀営業所を新築移転。さらに、医療ガス設備工事事業を開始し、サービスの幅を大きく広げていった。
山下医科器械は着実に、地盤を固めながら拡大への歩みを進めていく。

1978 年(昭和 53 年)
資本金1,000万円に増資
1978
1980 年(昭和 55 年)
久留米出張所(現・筑後支社)開設
山下忠次郎、武雄市教育委員会より
表彰を受ける
1980
1979 年(昭和 54 年)
山下登、日本赤十字社より銀色有効章
を受ける
資本金1,500万円に増資
1979
1981 年(昭和 56 年)
資本金2,000万円に増資
北九州営業所(現・北九州支社)開設
1981
1978 年(昭和 53 年)
資本金1,000万円に増資
1978
1979 年(昭和 54 年)
山下登、日本赤十字社より銀色有効章を受ける
資本金1,500万円に増資
1979
1980 年(昭和 55 年)
久留米出張所(現・筑後支社)開設
山下忠次郎、武雄市教育委員会より表彰を受ける
1980
1981 年(昭和 56 年)
資本金2,000万円に増資
北九州営業所(現・北九州支社)開設
1981
感謝状
1982(昭和57年)10月
創業者の功績が認められる

長年にわたる医療への貢献が認められ、創業者・山下忠次郎は長崎県知事より薬事衛生業務に対する感謝状を授与される。この出来事は、社員一人ひとりに強い誇りを与えた。

1984 年(昭和 59 年)
山下登、長崎県医科器械組合の理事長
に就任
資本金2,500万円に増資
1984
1984 年(昭和 59 年)
山下登、長崎県医科器械組合の理事長に就任
資本金2,500万円に増資
1984
表彰状
1985(昭和60年)1月
医療業界への貢献

医療器械業界の発展に寄与し、国民医療の向上に尽くした功績が認められ、山下忠次郎は日本医科器械商工団体連合会より表彰を受ける。「医療業界を支える存在として、これからも医療の未来に貢献していく」―その想いが新たな原動力となった。

1987 年(昭和 62 年)
山下登、九州医科器械組合連合会会長
に就任(平成4年2月7日迄)
山下登、社団法人日本計量協会より
計量の改善発展の貢献により表彰を受ける
唐津営業所を開設
1987
1986 年(昭和 61 年)
五島出張所(後の五島営業所)を開設
山下忠次郎逝去(11月8日社葬)
1986
1988 年(昭和 63 年)
佐世保市卸団地に流通センターを開設
1988
1986 年(昭和 61 年)
五島出張所(後の五島営業所)を開設
山下忠次郎逝去(11月8日社葬)
1986
1987 年(昭和 62 年)
山下登、九州医科器械組合連合会会長に就任(平成4年2月7日迄)
山下登、社団法人日本計量協会より計量の改善発展の貢献により表彰を受ける
唐津営業所を開設
1987
1988 年(昭和 63 年)
佐世保市卸団地に流通センターを開設
1988
1989(平成元年)5月
九州医科器械組合連合会と台北市医
療器材商業同業公会姉妹調印式
(アジアメディカルショー)

山下医科器械は、九州医科器械組合連合会の一員として、台湾・台北市医療器材商業同業公会との姉妹調印式を実施。
この提携は、日本と台湾の医療機器業界をつなぐ大きな架け橋となり、国境を超えた連携が医療の未来を切り拓く新たな一歩となった。

1989 年(平成元年)
山下登、日本医科器械商工団体連合
会副会長に就任
熊本営業所を開設
1989
1992年(平成 4 年)
山下登、長崎県法人会連合会の発展
向上への功績に対して表彰を受ける
山下登、社団法人佐世保法人会の発展
向上への功績に対して感謝状を受ける
1992
1990 年(平成 2 年)
諫早営業所を開設
大牟田営業所を開設
1990
1989 年(平成元年)
山下登、日本医科器械商工団体連合会副会長に就任
熊本営業所を開設
1989
1990 年(平成 2 年)
諫早営業所を開設
大牟田営業所を開設
1990
1992年(平成 4 年)
山下登、長崎県法人会連合会の発展向上への功績に対して表彰を受ける
山下登、社団法人佐世保法人会の発展向上への功績に対して感謝状を受ける
1992
1993(平成 5 年)11月
医療現場を支えるSPD事業を開始

新しい時代のニーズに応え、医療機関の物品管理を一括して請け負うSPD事業を開始。「医療従事者が本来の業務に専念できる環境を整える」という想いのもと、現場の効率化を支える新しい挑戦が始まった。

1995 年(平成 7 年)
佐世保営業所(現・佐世保支社)に
福祉介護商品販売店を開設
1995
1994 年(平成 6 年)
山下登、日本医科器械商工団体連合会理事に就任
株式会社MDS設立。山下登、九州医科器械団体連合会の発展向上への功績に対して感謝状を受ける
山下登、長崎計量協会会長に就任。三ケ月法務大臣より佐世保更生保護事業の推進に対する功労により感謝状を受ける
筑豊営業所を開設
SPD事業拡大を目標として福岡市博
多区にMS(メディカルサポート)
センターを開設
山下登、薬事衛生分野への功労により
厚生大臣表彰を受ける
1994
1994 年(平成 6 年)
山下登、日本医科器械商工団体連合会理事に就任
株式会社MDS設立。山下登、九州医科器械団体連合会の発展向上への功績に対して感謝状を受ける
山下登、長崎計量協会会長に就任。三ケ月法務大臣より佐世保更生保護事業の推進に対する功労により感謝状を受ける
筑豊営業所を開設
SPD事業拡大を目標として福岡市博多区にMS(メディカルサポート)センターを開設
山下登、薬事衛生分野への功労により厚生大臣表彰を受ける
1994
1995 年(平成 7 年)
佐世保営業所(現・佐世保支社)に福祉介護商品販売店を開設
1995
感謝状
1996(平成 8 年)8月
菅厚生大臣より雲仙岳噴火災害薬事衛生活動に対する感謝状を受ける

雲仙岳の噴火災害に際し、山下医科器械は被災地の医療支援に尽力。地域医療を支える企業として、医療機関のサポートを行い、その貢献が高く評価された。
災害時における迅速な対応と、医療支援の重要性を再認識した。

1996 年(平成 8 年)
山下登、吉岡島原市長より表彰を受ける
南佐世保営業所を開設
資本金を5,000万円に増資
1996
1996 年(平成 8 年)
山下登、吉岡島原市長より表彰を受ける
南佐世保営業所を開設
資本金を5,000万円に増資
1996
拡充
The year 1997
1997(平成 9 年)6月
代表取締役に山下尚登就任

1997年6月、山下尚登が代表取締役に就任。山下医科器械はさらなる成長と進化を遂げるべく、新たな一歩を踏み出した。
高度な医療ニーズに応えるため、専門性に特化した事業を推進。さらに、いち早く医療情報分野への取り組みを開始し、トータル・メディカル・サポート体制の構築を進めていった。この挑戦が、新たな価値を生み出していく。

1999 年(平成11年)
メディカルサポートセンター(福岡市)内に医療環境センター開設
南佐世保営業所を佐世保営業所に統合
流通センターから物流センターへ移行
八代出張所を開設
山下登会長が計量関係功労者に贈られ
る通算大臣表彰を受ける
1999
1998 年(平成 10 年)
メディカルサポートセンター(福岡市)開設
1998
2000 年(平成 12 年)
大分出張所を開設
鳥栖市轟木町に物流センターを起工
日本赤十字社より赤十字事業の発展向
上への功績に対して感謝状を受ける
電子カルテの販売を開始
2000
1998 年(平成 10 年)
メディカルサポートセンター(福岡市)開設
1998
1999 年(平成 11 年)
メディカルサポートセンター(福岡市)内に医療環境センター開設
南佐世保営業所を佐世保営業所に統合
流通センターから物流センターへ移行
八代出張所を開設
山下登会長が計量関係功労者に贈られる通算大臣表彰を受ける
1999
2000 年(平成 12 年)
大分出張所を開設
鳥栖市轟木町に物流センターを起工
日本赤十字社より赤十字事業の発展向上への功績に対して感謝状を受ける
電子カルテの販売を開始
2000
2001(平成 13 年)2月
地域密着型支援の強化
- TMSセンター開設

医療の物流を支える中枢として、佐賀県鳥栖市にトータルメディカルサポートセンター(TMS)を開設。「地域に根ざし、医療の現場に迅速に対応する」――これを実現する新たな拠点が誕生した。

2001 年(平成 13 年)
宮崎営業所・鹿児島営業所・鳥栖営
業所を開設
山下登、小泉内閣総理大臣より勲五等
瑞宝章を受ける
2001
2002 年(平成 14 年)
大分県での販売拡大を目的として株式
会社アトル・エムアイの全株式を取得
株式会社アトル・エムアイを吸収合併
し大分営業所(現・大分支社)に統合
OEM(自社ブランド)商品として小型
高圧蒸気滅菌装置(サポートクレーブ)を販売開始
2002
2001 年(平成 13 年)
宮崎営業所・鹿児島営業所・鳥栖営業所を開設
山下登、小泉内閣総理大臣より勲五等瑞宝章を受ける
2001
2002 年(平成 14 年)
大分県での販売拡大を目的として株式会社アトル・エムアイの全株式を取得
株式会社アトル・エムアイを吸収合併し大分営業所(現・大分支社)に統合
OEM(自社ブランド)商品として小型高圧蒸気滅菌装置(サポートクレーブ)を販売開始
2002
2003(平成 15 年)12月
佐賀県鳥栖市TMSセンター内に多機能
ショールームを開設

佐賀県鳥栖市にあるTMSセンター内に、多機能ショールームを開設。
最新の医療機器やシステムを直接体験できる場を提供し、医療現場のニーズに応える新たな価値を創出した。

2003 年(平成 15 年)
都城営業所を開設
医療用情報システムの販売を本格化
医療経営コンサルタントを主体として
医療機器を一括販売する新規開業事業
を本格化
Web版物品管理システム(YTeMSS)
の導入開始
2003
2005 年(平成 17 年)
福岡市中央区に、経営管理機能集約を
目指して福岡本社を開設
福岡西連絡所を開設
2005
2004 年(平成 16 年)
資本金を1億8,080万円に増資
久留米営業所、鳥栖営業所を統合して
TMS支社を開設
福岡県大野城市にOEM、九州総代理店
事業を目的として株式会社イーピーメ
ディック(非連結子会社)を設立
大村営業所、諫早営業所を統合して長
崎中央営業所を開設
2004
2003 年(平成 15 年)
都城営業所を開設
医療用情報システムの販売を本格化
医療経営コンサルタントを主体として医療機器を一括販売する新規開業事業を本格化
Web版物品管理システム(YTeMSS)の導入開始
2003
2004 年(平成 16 年)
資本金を1億8,080万円に増資
久留米営業所、鳥栖営業所を統合してTMS支社を開設
福岡県大野城市にOEM、九州総代理店事業を目的として株式会社イーピーメディック(非連結子会社)を設立
大村営業所、諫早営業所を統合して長崎中央営業所を開設
2004
2005 年(平成 17 年)
福岡市中央区に、経営管理機能集約を目指して福岡本社を開設
福岡西連絡所を開設
2005
2006(平成 18 年)2月
東証二部上場 - 飛躍への新たな一歩

創業から80年、積み重ねてきた信頼と実績が評価され、ついに東証二部に上場。この瞬間は、山下医科器械にとって歴史的な出来事となった。

2006 年(平成 18 年)
資本金を4億8,000万円に変更
ISO9001、13485を全社一括獲得
筑後支社開設(TMS支社移転)
2006
2006 年(平成 18 年)
資本金を4億8,000万円に変更
ISO9001、13485を全社一括獲得
筑後支社開設(TMS支社移転)
2006
2008(平成 20 年)7月
さらなる飛躍に向け
再び代表取締役社長に山下尚登が就任

想定を超えて厳しくなる経営環境のもと、収益構造再構築をはかるべく10テーマを掲げた新中期経営計画「Re-Growth10」を発表。

飛躍
The year 2009
2009(平成 21 年)6月
地域全体の健康を支える挑戦

広島県福山市に東手城ヘルスケアモールを開設。医療を超え、地域全体の健康づくりを支える新しい試みがスタート。地域社会に根ざしたさらなる挑戦が始まった。

2009 年(平成 21 年)
医療通販サイトを開設
2009
2009 年(平成 21 年)
医療通販サイトを開設
2009
2010(平成 22 年)4月
医療現場を支える拠点
- 鳥栖SPDセンター開設

医療現場をより効率的に支えるため、佐賀県鳥栖市にSPDセンターを開設。「必要な物品を確実に届けることで、医療の質を支える。」その使命感を胸に、新たな一歩を踏み出した。

2013 年(平成 25 年)
リニューアル開設した通信販売サイト「MeReCare-y(メリケア)」を展開
山下登元取締役会長逝去
福岡県福岡市に福岡SPDセンターを
開設
2013
2012 年(平成 24 年)
鹿児島県奄美市に奄美連絡所を開設
2012
2015 年(平成 27 年)
山下尚登、九州医療機器団体連合会会
長に就任
2015
2012 年(平成 24 年)
鹿児島県奄美市に奄美連絡所を開設
2012
2013 年(平成 25 年)
リニューアル開設した通信販売サイト「MeReCare-y(メリケア)」を展開
山下登元取締役会長逝去
福岡県福岡市に福岡SPDセンターを開設
2013
2015 年(平成 27 年)
山下尚登、九州医療機器団体連合会会長に就任
2015
成長
The year 2016
2016(平成 28 年)9月
地域医療を支える新たな柱
- 長崎TMSセンター完成

物流から物品管理までを一元化し、医療機関への迅速かつ的確な支援を可能にする長崎TMSセンターが完成。「地域医療の未来を支える拠点となる」――その決意を胸に、新たな時代への歩みを進める。

2017 年(平成 29 年)
株式会社トムスを子会社化
単独株式移転により完全親会社 (持株会社)ヤマシタヘルスケアホールディングス株式会社を設立
2017
2017 年(平成 29 年)
株式会社トムスを子会社化
単独株式移転により完全親会社 (持株会社)ヤマシタヘルスケアホールディングス株式会社を設立
2017
女性が活躍しています!
2018(平成 30 年)1月
女性活躍推進に関する優れた取り組みを
行う企業に与えられる「えるぼし」認定
の最高位3段階目を取得する

山下医科器械は、女性の活躍推進に関する優れた取り組みが評価され、「えるぼし」認定の最高位(3段階目)を厚生労働省より取得。企業としての多様性を尊重し、誰もが活躍できる環境づくりを推進した。

2018 年(平成 30 年)
保有する子会社2社(株式会社イーピーメディックおよび株式会社トムス)株式を親会社ヤマシタヘルスケアホールディングス株式会社へ異動
2018
2018 年(平成 30 年)
保有する子会社2社(株式会社イーピーメディックおよび株式会社トムス)株式を親会社ヤマシタヘルスケアホールディングス株式会社へ異動
2018
2019 年(令和 元 年)
山下尚登、薬事衛生分野への功労により厚生大臣表彰を受ける
2019
2019 年(令和 元 年)
山下尚登、薬事衛生分野への功労により厚生大臣表彰を受ける
2019
2020 年(令和 2 年)
福岡本社事務所を現在の福岡市博多区下川端町に移転。人が集い、共生するためのコミュニケーションラウンジを設けるなど先進的なレイアウトとした
2020
2020 年(令和 2 年)
福岡本社事務所を現在の福岡市博多区下川端町に移転。人が集い、共生するためのコミュニケーションラウンジを設けるなど先進的なレイアウトとした
2020
地域未来牽引企業
2020(令和2年)11月
経済産業省より地域経済の中心的な担い手
となりうる事業者として、
「地域未来牽引企業」の選定を受ける

山下医科器械は、経済産業省より「地域未来牽引企業」として選定される。
医療を通じた地域貢献の歩みがさらに確かなものとなった瞬間だった。

2022 年(令和 4 年)
ウクライナおよびその周辺地域で避難を余儀なくされている方々への人道的支援のため、日本国政府を通じて同国へ輸液装置を提供
2022
2022 年(令和 4 年)
ウクライナおよびその周辺地域で避難を余儀なくされている方々への人道的支援のため、日本国政府を通じて同国へ輸液装置を提供
2022
2023 年(令和 5 年)
山下尚登、一般社団法人日本医療機器販売業協会 会長に就任
2023
2023 年(令和 5 年)
山下尚登、一般社団法人日本医療機器販売業協会 会長に就任
2023
2024 年(令和 6 年)
山下尚登、法務大臣より佐世保更生保護事業の推進に対する功労により感謝状を受ける
2024
2024 年(令和 6 年)
山下尚登、法務大臣より佐世保更生保護事業の推進に対する功労により感謝状を受ける
2024
健康づくり Kenkō ゴールド 優良事業所 2024-2025
2024(令和6年)10月
健康経営に取り組む優良事業所として
6年連続で全国健康保険協会(協会けんぽ) 福岡支部より「健康づくり優良事業所『ゴールド』認定」を受ける

健康経営への継続的な取り組みが評価され、「健康づくり優良事業所『ゴールド』認定」を6年連続で取得。社員一人ひとりが安心して働ける職場環境の整備に、引き続き力を注いでいく。

健康経営優良法人 2025 KENKO Investment for Health 大規模法人部門
2025(令和7年)3月
経済産業省と日本健康会議が選定する
「健康経営優良法人認定制度」において
「健康経営優良法人2025(大規模法人部門)」に4年連続で認定される

山下医科器械は「健康経営優良法人(大規模法人部門)」に4年連続で認定。働く環境の改善を重視し、持続可能な経営を推進し続けている。

The year 2026
創業100周年

皆様の温かいご支援に支えられ、多くの苦難を乗り越えながら今日まで歩んでくることができました。
これまでのご厚情に心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。